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コンサルタントコラム

2016年6月22日

◆ 「正論」よりも「適論」 ◆


恥ずかしい話、私は「正論」をふりかざす。
とても、嫌なヤツである(ヤツであった)。

自分の周りに起こる様々な出来事を、自身の狭い価値観に当てはめ、自分の物差しだけで論理的に整理し、これは「○」、こっちは「×」だと、勝手に正論を作り上げてしまう名人である(名人であった)。
今、振り返ると本当に情けない思いでいっぱいである。

常に想定される問答においてもある程度の理論武装をしているので、口論となってもその(自己満足な)「正論(チックなもの)」をふりかざし、他者を次々と論破しては、したり顔になっているのだった。

先日、上司との面談の際に、このように言われた。

「四宮さんって、正論が好きですよね」
「ええ、好きですね」
「よく正論を言いますよね」
「はい・・・」
「日本の道路って、制限速度が40kmの道が割と多いですよね」
「そうですね、ほとんど・・・ですかね」
「でも、ほとんどの車が制限速度を守っていませんよね」
「そうですね、正直、50〜60Kmぐらいでスイスイ走っていますね」
「それってダメじゃないですか。制限速度を守らないと。でも、1台だけ頑なに40Kmの制限速度を守っていたとしたら、それって逆に周りの迷惑になると思いませんか?」
「・・・」

この単純なやり取りで、私は40Kmを必死で守ろうとしていたKYな(空気の読めない)人間だったことに気づくことができた(恥ずかしいー!)。

『目から鱗が落ちる』想いとは、まさにこの日の私の体験である。

もちろん、ルールを破っても構わないとか、コンプライアンスを軽視せよ、というお話ではない。
人が人である以上。組織が人で成り立っている以上、そこには「感情」というものがあり、人間同士が協同して仕事を進めて行く上で「共感性」や「納得感」というものが、とても大切になってくるだろう。

いくら理屈上では正しくとも、ルール上では間違っていなくとも、関係する人々がそのことに「納得」「共感」していなければ、そのアイデアや発言がパワーを持って展開されていくことは困難であることは必至である。

「何がしたいのか?」
「そのためには何が(誰の協力が)必要なのか?」
「そのために自分が成すべきことは何なのか?」

組織にとって、会社にとって、最も高い成果を得られるように、もっともっと柔軟な思考で、相手本位の視点を持ち、独りよがりにならぬよう、自身の言動を見直そう。

必要なのは「正論」よりも、その場・その時に合った「適論」である。
それに気づくことができた、上司との有り難い対話であった。

株式会社フェイス総合研究所 上席執行役員 四宮 敬仁